 | 新庄市立図書館の筋向いに、当医師会ゆかりの記念碑が立っています。
明治維新後、日進月歩の医学に遅れをとるまいと最上郡医業組合では互いに研鑽しようと集会所建設に立ち上がりました。
その集会所建設に貢献した人々の功績をたたえ、昭和13年5月に建てられたものです。題字は、当時の東京帝国大学総長 長与又郎医学博士によります。
話は遡って、明治14年4月、山形県は「医業組合規則」布達。明治14年6月頃、「最上郡医業組合」が結成されました。組合への加入は任意ではなく強制でした。
明治39年5月、「医師法」が制定・公布。これに関連して「医師会規則」が公布。医師会は「郡市医師会」と「県医師会」二つにすることと定められ、「郡市医師会には公立病院の医師を除き、総ての医師が夫々の所在地の郡市医師会に加入すること」が義務付けられました。
こうして、明治44年、山形県医師会が結成されています。
最上郡医師会が結成された年代は不明ですが、明治後期と思われます。
時代を経て昭和22年8月、新法のもとに「社団法人最上郡医師会」が設立され、新庄市制施行に伴い「社団法人新庄市最上郡医師会」となり、現在にいたっております。 |
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